2017年3月12日日曜日

トルーカでのマラソン大会出場

2016年8月に初めてのフルマラソン大会(メキシコシティマラソン)に参加し、タイムも初参加で5時間切りとまあまあではあったものの、やはり最後まで走りきれず途中何度か歩いたり止まったりしたのが心残りだった。
それが悔しく、今年の一緒に参加している先輩とプエブラのフルマラソン大会に参加、しかしここでフルとハーフマラソンの分岐点がわかりにくく、二人揃ってもハーフでゴールしてしまうという悔やしい結果に終わってしまった。
次の年のシティマラソン(もしまだ駐在続けていればであるが)までに一度フルマラソンを走りきってみたいという気持ちが強くなってきた。

そこで「プエブラの屈辱」から2ヶ月、ネットでフルマラソン情報を探していたら、同じくメキシコシティ近郊のトルーカでこんな大会があるのを見つけた。

当初は日程も合うし、トルーカといえばメキシコシティからバスで1時間程度の近場でもあるからとの理由で気軽に申し込みをした。
そしてメキシコシティマラソンでも参加されていた別の先輩(このかたはFacebookはされないので)にメールでこんなの出るんですと送ったところ「シティより標高が高いところですよね。頑張ってください」とのお返事。
ちょっと待て、知らなかったぞそれ・・・
Google先生に聞いてみると2667mと出る。メキシコシティの標高が2250mで富士山の5合目ぐらいだが、そこからさらに登って6号目ぐらいのところでフルを走ることになるわけである。大丈夫か自分、、まずはこれまでの反省を活かして脚力をつけねばとばかり土日の練習ではチャプルテペック城 脇の坂を複数回登りきる練習を取り入れるなどもうすぐ50に手が届く我が身を虐める毎日だったのである。
写真ではわかりにくいが600mの結構きつい坂 毎週末ランナーで賑わう
それで迎えた週末 土曜日の朝、直前の日本行きの際に買ってきた塩昆布をまぜたおにぎりを6つほど作りそれ以外にもゼリーや着替えなどつめこんだら、たかだか1泊近郊旅行なのに結構な荷物になってしまった

土曜の午後はホテル到着後、さっそくゼッケンの受取にいく。宿泊するホテルはゼッケン受取場所の近くなのだがスタート地点は車で20分ぐらい離れた場所であることにも気づく

さて宿泊したホテルは、なぜか1階に州警察の事務所があってしかもなぜか当日武装した警察官が大量に宿泊していた(こう書くと恐ろしく聞こえるが、まあごついおっちゃん達の集団(悪い人達ではない)と思ってほしい)
部屋では無線LANがつながらず、溜まっていた仕事の処理がほとんどできなかったがあまりいらいらすると翌日に差し障りが出るので諦めて早めに就寝する。

翌朝早朝(この地区はUberが使えない)タクシーを呼んでもらい、たまたまロビーにいた他の人もランナーらしかったので声かけたらスタート地点まで同乗してもらうことになった。その人は始めてハーフマラソンに参加するみたいであり、自分がフルに参加するといったら驚いていた。でも今年のシティマラソンではフルに初挑戦したいとのことだった。
まだ暗いうちにスタート地点付近に到着

標高が高いせいか、前日の日中と違って寒かったがウォーミングアップしながらスタート地点に向かう。決して大規模な大会ではないのにアフリカから来たと思われる選手達(男女)6−7人見かけ、あえて高地のレース参加で特訓しているのかなと思った。

7時スタートのはずが、なぜか5分ぐらい遅れてスタート。出発直後は周りの雰囲気にのまれスピードが出てしまうが、ランニングウォッチと見てキロ6:00-6:20までに抑えるようにして走る。このスピードは普段の練習の時よりも少し遅い程度なのであるがこれを42km分続けるというのはそれはそれで辛いものである。

またいつも脱水気味になる反省から、10kmすぎた地点で必ず水かスポーツ飲料を取るように心がける。

大半のルートは普通の歩道や自動車道の一区画を区切った程度であり、沿道にもそんなに大勢の人がいるわけもない。また交差点も全て封鎖するわけではなくランナーが来ると都度警察官が車を遮断する程度である。それでもこの州警察の人たちはかなり慣れているのか、うまくランナーの走行を邪魔しないような形で交通整理してくれるので助かった。

給水所で配布されたのはビニール袋入りの水(はしを噛み切って袋を開けて飲む)とゲータレード。わずか参加料200ペソの大会だがスポンサーに同社が入っているせいかスポーツ飲料が2kmおきに飲めたのは助かった。(水しか配布しない大会もある)

さて前のシティマラソンの時は30kmにも満たない地点で息切れして歩いてしまった。今回も以外と28-32kmぐらいの間が辛く、何度かもう歩いてしまおうかとも思ったがとりあえず足が続く限りは走ろうと。結果的に32kmぐらいを過ぎた頃からなんとかいけるかな、、という感じになってきた。

また給水場ではまずビニール袋入りの水は飲まずに手持ちし、その直後に配られるゲータレートを飲む。そのまま1kmぐらい走るとまた喉が渇いてくるので今度は袋入りの水を飲む。。ということを繰り返していると水を飲むたびに元気がある程度回復するというのを体が覚えるようになってきた。
この時点でペースもスタート直後同様キロ6:00-6:20の間をうまくキープ。40kmが近づくにつれこのまま走りきれると確信しだす。

最後は昨日ゼッケンをもらいうけた近くに到着。一気に街並みがきれいになっていく。



逆光でわかりにくいが顔が思いっきり日焼けしている
もちろんフルなので辛さはハーフマラソンの比ではないがそれでもペースを守り、給水を欠かさずとっていけばなんとかフルは走りきれるのだなということがわかった


タイムは4時半23分。さすがにまだサブ4までは遠い。それでも自己ベストではあるしなによりも途中歩かなかったということが自信につながった。 また今回は給水だけでなくこまめに甘いゼリーやこれまた日本で買ってきた塩飴(思ったほど塩辛くなくて助かった)をとったせいか、前回のようなゴール直後の足のつりがなくなった。

そしてスタート地点とことなりゴール地点は宿泊先の近く。なので歩いてホテルまで戻ることができた。そこでシャワーを浴びて着替えなどを片付けホテルをチェックアウト、バスでシティに向かう

バスターミナルでは同じ大会のウェアを着ていた何人かの人にあったので、結構シティからの参加者が多いのかもしれない。こういうマラソンの機会を使った近郊や地方遠征もおもしろいなと思った次第である。

2016年8月29日月曜日

メキシコシティマラソン2016参加

メキシコでマラソンを趣味にし初めて1年半、最初に参加した15kmの大会から約1年経過し、今回人生初のフルマラソンであるメキシコシティマラソン大会に参加した。
例によって一人で参加するのもなんなので、渋る先輩の一人(前記事参照)を無理やり巻き込み一緒に参加することにした。

申し込みしたのはほぼ半年前ぐらい。ハーフマラソンも前記事のレースから3回ぐらい参加し、なんとか21kmで2時間切れるぐらいのタイムにまで持ってこれた。単純計算ならフルなら4時間切れるのではないか、初めて1年でSub-4(4時間切。ランナーにとって一つの大きな目標)というのも格好いいななどと妄想していたがそうはいかないのがマラソンなのである。


元々、標高2200mの高所であることに加えて中盤並びに後半にかけて登り坂が続く極めて無慈悲なコースである。
一方メキシコシティ中心街は毎日曜午前にランナー、バイカーのための歩行者天国を市が実施しておりたとえば前半のコースは格好の日曜ランニングのコースでイメージしやすいというメリットはある。

まずはゼッケンの取得、申し込みした時は当方の自宅からも近いワールドトレードセンターでの配布だったはずが、1週間前ぐらいからFacebookにて空港近くのレース場でマラソンEXPOをやるという案内になり、初日に「もうパッケージ(ゼッケンやその他)はもらったかい?」というアナウンスがしれっと流れる極めてメキシコ的な展開(FBでも結構質問が飛んでいたけど主催者最後まで無視していたな)

結局パッケージ配布はレース場で実施

並みのスポーツショップより充実した品揃え
ゼッケンやウェアをもらい受け翌日のため早めの就寝につく。
ただ今回スタートとゴールが距離離れているので預け荷物どう回収するのか(まさかスタートに戻るのか?)気になって眠れず、前日にFacebookの書き込みで友達になったばかりの他参加者の方に質問すると、それはバスで番号別に集め、ゴールまで持っていってくれるとのこと。Facebookやってなかったら全然情報なく参加すらできなかっただろうなと改めて思う。

スタート前の準備 まだ暗い
荷物は教えてもらったとおり、複数台のバスが待機しており、ゼッケン番号別に預ける。その際名前の読み方をお姉さん方が「ええとサ◯スゥイ?」「いやサ◯シ」だと確認しあっていて恥ずかしかった
4時間代ランナーの集合場所 先頭より30分ほど遅いスタート

出発直前 奥になるのが国立オペラハウス(Bellas Artes)
4時間ランナー(あくまで自己申告)は最先頭集団に遅れること30分後の出発。スタートラインまでの移動の間、各ランナーがめいめいに叫んでいて(メキシコだと珍しくない)だんだん気分が盛り上がってくる。

結局朝7時50分ごろのスタート(会場入りしたのが6時前頃もっと遅くきてもよかったかなと思う)最初オーバーペースになると後が辛いというのをさんざん本で読んでいたので無理しない走りを心がける。それでも時計見るとキロ5分40秒を維持。これが自分にとっての楽なペースなのかな、なら4時間も可能かな、、、という考えが甘かった。

結局大勢のランナーや沿道の歓声、聞いていた音楽(TOTOのライブ盤アルバム)で浮き足立っており結局オーバーペースだったのだろう。
また実際自分たちの前の集団(4時間未満ランナー達)も結構遅いペースで走っておりそれを抜かしたりぶつかったりしたことで疲れも出てきたのかもしれない。

この頃はまだ余裕の表情(真ん中にいる日本人が筆者)
  それでもいつもハーフマラソンですら必死に辿りつく21kmは余裕で越しペースも維持していたのである。それが23kmぐらいになると息苦しさ(正直今まで高度による息苦しさなんて感じたこともなかったのだが)やなぜか右肩の痛みが出てくる。我慢できず歩いてからまた走り出すと他のランナーの壁もあり思うように走れずいらついてくる。だんだんペースも落ちてきて、すでに4時間以内のゴールはこの時点であきらめる

27km以降になるともう1kmごとに走ったり歩いたりの連続。よく30kmの壁というが私の場合はもっと早くきたみたいである

https://connect.garmin.com/modern/activity/1326156152
(恥ずかしながらここで私のランニングウォッチの記録が見れます)

この頃になってくると頭の中がネガティブなことでいっぱいになってくる。練習方法がまずかったのか、やはりオーバーペースなのか、フルに挑戦するのはまだ早かったのかとかそもそも堪え性が足りないのかとか・・・苦しくなる呼吸を歩いたり止まったりしながら整えてなんとかジョギングベースだけでも維持しようとする
39km付近 だいぶバテてきている
一方、沿道の人たちの声援はすざましく、またゼッケンに名前が書いてあることもあり「サ◯シ、まだ走れるぞ」「サ◯シ、もう少しだ」とありがたいが、へたっているときは恥ずかしいというか、正直放っておいてほしいと思うがこれもメキシコならではである。

ただそれでも徐々にゴールに近づいていきているんだなという感じがでてきた。
ゴールであるUNAM(メキシコ国立自治大学)のスタジアム(ちなみに大学の元サッカーチーム PUMASがプロリーグでありそのホームスタジアムにもなっている)が見えてきたときはそろそろかと思った41kmのあたり、ここで突然に左足が痙攣を起こす。
びっこを引き出した私を見て、後続のランナー達が沿道の人たちに「サポートしてあげて」と声をかけてくれ、警備にたっていた警官の方と沿道の方々がありがたいことに氷を当ててくれたり、水やジェル状の甘味料をくれたりしたおかげで1−2分ほどで回復、ゴールを目指す。

スタジアムの駐車場に入り、地下トンネルをくぐり競技場に入るタイミングで各ランナー達も興奮し「もう到着するぞ!」との掛け声、男性ランナーも女性ランナーも一緒にあげる歓声で感激もひときわ高まってくる。

そして最後はゴール。途中いろいろあったけど最後は笑顔でゴールできた、、、と思う。
周囲のランナー達と握手を交わしながらメダルやプレゼント(Tシャツ)をもらい受けに行く
ゴールしたばかりの筆者 カメラを意識して無理な笑顔



そのメダルをもらった直後であるが両足に強い痙攣がおき、「痛てぇ」と大声をだしてその場に卒倒してしまった。
すぐさま周囲の人たちが駆け寄り足を押したり氷をあててくれたりした。(たぶん一人だったら対処できなかったであろう酷い痛みだった)また足の付け根の方まで急に痛みが走り、足を押したり伸ばしたりしながら、なんとか立てるところまで回復するまで正味10分ぐらいかかったであろうか。

その後、丘の上に預け荷物用バスがきており、痛い足を引きずりながらもらい受けに行く。
預けた時と同じお姉さんたちが「サ◯シおめでとう」「また来年ね」(もし来年もメキシコにいたら、、と言おうと思ったが息が苦しくて話せなかった)。林の木陰で着替えるがその際も動悸が止まらずしばらく横になる。水やドリンクをがぶ飲みするが喉の渇きがおさまらない

帰りはやっとの思いで臨時バスとタクシーを乗り継いで帰宅する。


結果はネットタイムで4時間37分51秒(オフィシャルはスタート30分遅れのため5時間11分41秒)。あれだけ歩いたり休んだにしてはまあまあのタイムだったなと。ただ次回は申し越し序盤のペースを落として最後まで走りきることをまず目標にしよう、、、と痛い足をさすりながら思うのであった。


2015年11月26日木曜日

初のハーフマラソン参加

メキシコに来てあと一月ほどで7年になるのだが、こうしてブログ読み返してみると色々な事に手を出し続けいるなと。
ただその時の、興味や環境〔家族がまだ来ていなかったりとか〕また知りあった友達との共通の趣味とかで休日の過ごし方が大きく異なるものて、決して飽きっぽいということはそんなにないという言い訳はさておき、前回出場した15kmマラソンで痛めた靱帯も一月ほどで何とか治り、次の目標としてハーフマラソンに出ようということを決意したのである。
ただ一人では流石に寂しくなり、休日のたびに10kmマラソンに出場されている先輩を飲み会で口説き落とし、無理やりエントリーさせてしまった。



前回、大会前に二日間連続連続し、しかも直前に14kmも走って結果、右足に痛み抱えて走り切るという自爆行為をした反省で、今回はとにかく無理しない、、という事を意識、例えば二日間連続では走らないとか、あと前週は意識して炭水化物取るとか、前日は大好きな酒は飲まずに早く就寝するとかを心がけ、安全第一で臨んだのであった。

さてこの大会であるが、メキシコ政府保健省が主催するもの。なのでネットでは、国主催イベントなのに参加費取るとは何事だみたいな書き込みが多かったがどこの国でも政府が何かしたら文句を言う人はいるものだ。


ただ、このウェアのデザインと、キットに入っていたクノールスープと乾燥パスタは走りながら飲み食いするわけにもいかずいかがなものかと思ったぞ。
あと親方日の丸なのは共通しているようでゼッケンの事前配布先が案内がほとんどなく、場所管理していた警備員に聞いて始めて分かった次第であった。

さて当日である。スタート一時間まえはまだ日も昇らず、しかも小雨が降っていた。準備中のスポンサーの宣伝ブースで雨宿りさせてもらったが特に文句もなく入れて貰えるのがこの国のいいところ。



少し寒いが日も昇り、雨も幸運にも止み、スタートラインに位置する。国歌斉唱のあとスタート。

意識して最初は抑え気味で走るも前方のランナーを避けているうちにスピードがどうしてもアップしてくる。4kmを過ぎた頃からか、以前よく車で通っていた長い坂道にかかる。もちろん今度は走っているのは自分の、足なので次第にキツくなり、今更ながら「俺は何でこんなアホな事してるんだろう」というネガティヴシンキングで、頭が一杯になった。
結局、5km過ぎでガマンできす、坂道を歩いて上ることになる。
後ろから抜かしていく女性ランナーさん達から頑張れ、と激励、いや怒られながらとりあえず折り返しのある6kmぐらいまで歩いて上る。
その後、上りが長かった分、下りの距離もあったため楽にスピードアップし、タイムを取り戻す。 以降辛かったら無理せず休み、下り傾斜で走る省エネ?戦略に切り替える。〔お世辞にも戦略などと言えるものではないが〕
それでも前回踏破した15km過ぎるとバテ気味になり、ご老人ランナーにも追い抜かされおまけに励まされる、もとい怒られる。
18km過ぎからはもう必死になって完走だけ考えていた。今回はうれしいことに家族もゴール地点で待っていてくれていた。
ゴール直前の必死な表情(笑)


こうして初のハーフマラソン、終わってみたらタイムも、二時間丁度で普段の流し練習のペースが維持できていた。ただ途中坂道や給水所でのスタミナ切れは反省点で、次回までの課題かなと。しばらくはハーフでのタイム向上を目指し、倍のフルマラソンは当面先にしたい、というか考えられんというのが正直な感想である。

でも駐在中にシティーフルマラソン出たいなあとも夢見ている今日この頃であるのだ。

(おまけ)
今回くだり坂でスピードアップしたせいか、今度は左膝が痛くなる。しばらくまた安静かなとも思っていたが、知り合いの日本食レストラン女性シェフの方からAlka Seltzer を勧められた。水に溶かして飲む錠剤タイプだがなんと2日ほどで痛みが治まってしまった。次から運動する前に飲むとより効果があるとか、、

靭帯を痛めてしまった・・・

さてこの前の記事で書いている人生初のマラソン大会参加でどうやら右足の靱帯を痛めてしまったようなのである。
大会完走したものの、普通の歩行もままならず、不覚にも1日休みを取って病院でみてもらったのである。
知り合いの日本人の先生にアポをいれ、症状とマラソン出たことはなすあ、「◯◯さんももう若くないんだからさあ」(ちなみにこの先生、当方よりずっとご高齢)と呆れながらもまずは痛み止めの注射、そしてテープを脚にぐるぐる巻きにしてもらう。あと日本のバンテリンににた塗り薬などを教えてもらい、まずは一週間様子を見る。困ったのはシャワーの時で、テーピングしているところは濡らしてはいけないらしく、サランラップで毎回周りを巻いてから行水する羽目にぬる。片足痛くてただでさえバランスとるの大変なのに、ちょっとした罰ゲーム受けている感覚であった。

一週間後、再度同じ先生にみてもらう。病院休みに関わらず時間取っていただいたが、診療室の外鍵忘れたとかで受付カウンターにヒョイと飛び乗った先生を恨めしそうな目で見る我輩。
この日は針も打ってもらった後、サポータ代わりになるかたい靴下をつけてもらう。どうやらこれで無理な負荷が掛かるのを抑えれるのだそうだ。

もちろんしばらくは走りもなし。ただ三週間も休むと痛みもかなり引き、まずはウォーキングから再開、これも一週間ぐらいしてスロージョギングにあげ、一月半程でまた走り再開できるようになった。
まあ、今回は幸運だったのだろう。ネットで調べると、ずっと痛みを引きずられている方もおられるようだ。

やはり無理せず怪我のなりランニングを続けたいと思った。

2015年9月7日月曜日

メキシコシティでのマラソン大会

前回ジョギングの事を書いたのですが、今回思い立って
マラソン大会に出場してみることにしました。
といってもまだ走り出して半年未満のジョギング歴、いきなり
ハーフマラソンとかは辛いのでまずは普段走っている距離より
少しだけ長い15kmマラソンに挑戦してみました

マラソン大会の情報をシティで入手するのはいくつか方法があり
たとえば雑誌 Runners World Mexico Edition の記事や広告にも
出ていますが、あと各大会の運営にも関わっているAsdeporte の
サイトを見れば毎月のようにどこかで大会が行われているのでチェック
してもいいと思います。

私はここに出ていたTune Up Banorte Chapultepec 2015 という
大会に出てみることにしました 
15Kmと26Kmがあります
サイトに入り、'Inscribete'と書かれたリンクへ入り、必要事項を登録、
またクレジットカード経由で参加料を振り込みします
(この大会は453.00Peso(約3千円)でした)。
しばらく音沙汰がなかったのですが大会1週間前ぐらいから頻繁にメールが来て
まずは参加に必要なパッケージの受け渡しの案内があります


登録場所はスポーツショップの店内でした
もらえるのはウェア、ゼッケン、ICチップ(タイム計測用)、サービス
で水飲み用のボトルや軽食も入っていました。

チップはシューズにくくりつけます
受付にいたお兄さんが親切な人で当日の集合場所の地図を手書きで
書いてくれたりその他の注意事項を親切に教えてくれたので心配なく
参加できました。

前日、ウォーミングアップがてら7−8Kmほど流しました。
その際に右アキレス腱のあたりや左ふくらはぎに痛みを感じ少し
不安だったのですがまあなんとかなるでしょうと痛み止め飲んで
参加することにしました。

当日7時スタートのところウォーミングアップ等もあるので1時間
前に集合と言われました。前回記載したとおりシティの大通りの一つ
であるReformaは日曜日通行止めになるので、タクシーで直前まで
乗り付けたところ、他のランナーも到着しだしていたので一緒に集合
場所まで歩いていきます

意外なことに(?)時間通り手際よく準備されている


ウォーミングアップの見本を見せるお兄さん 結構ハードでした
スタート前、だいたいの予想スピードごとでグループ分けされて
おりそこからスタート。その頃になると司会者も煽り盛り上がって
きます


コースはReforma通りと隣接するChapultepec公園内を周り再度Reforma通りを
折り返してくるパターン 当方は3kmぐらいまでは1Km5分と結構ハイペースで
走れたものの、その後にまず左ふくらはぎに痛みを感じ、ペースダウン。そのうち
右アキレスも痛みを感じ出したので大幅にペースを落とし、もうスピードではなく
意地での完走を目指しました


おかげさまでなんとか完走
自宅のライブストリーミング中継を見ていた家族からはガニ股ポーズで
すごい形相でゴールしたとのこと。でも当人はそれどころではなく
なんとかゴールした(ランニングウォッチ確認したらキロ6分平均
でした)という感じです。


完走者はメダルがもらえる。結構うれしかったりする
そんな状態になってもゴールできると結構うれしかったりする
周りからおめでとうと声がけしてもらい、かつドリンク、果物、
ピザなどがたべれる。希望者は無料のマッサージサービスも受けれたり
するのだが大半がスポンサーの提供だったりボランティアの方の活動
だったりするそうである。

ただ無理がたたったので、当方は両足とも痛みがひどく、歩くのも
困難な状態になりました。
でもまたコンディションを整えて次はハーフマラソンに挑戦したいと
思います。

後日談
 靱帯炎症と筋肉疲労でした。もう若くないんだからと窘められました
 



2015年8月23日日曜日

メキシコシティでのジョギング

今年の4月、体重と腹が笑い事にならない状態になっていることに
気づき、かつ近所のジムも閉鎖されてしまったので、対策として
軽いジョギングから始めたのですが、時間の融通もつきやすく、また色々
関連アプリも出てきて楽しめるようになってきたので未だに続けています。

ただ会社から帰ってからだと時間が遅く疲れも抜けていないので、早朝に
起きて走っているのですが、いくら治安が良くなってきているとはいえ、
そこは外の国、朝5時から人通りやバスの運行、また警察の巡回の多い
かつ照明もあるInsurgentes通りという南北に長い通りの往復に終始
していました(これでも8−10Kmぐらいのコースは作れる)
(ちなみにメキシコの夏時間中 朝5時頃はまだ真っ暗です)

ただ土日はその制約もないので、朝7時ぐらいのスタート(それでもまだ
薄暗いが)で裏通りを抜け、いわゆる「観光地」と呼ばれる地域へジョギング
することにしたのでした

まずはInsurgentes通りを北上して

Sona Rosaという旧繁華街兼コリアンタウン、今はビジネス街へと変わりつつある
地域の通り Florenciaを抜け

シティといえば独立記念塔(El Angel,Independencia)

日曜日 午前中は東西に延びるReforma通りは自転車&歩行者天国
サイクリストやジョガー達で賑わう

ところで今日その歩行者天国になっているReforma通りでCDMX
(メキシコシティ)30mなるイベントを行っていた。どうもボール
持って体操するイベントのようだがそのあと30mでも走るんだ
ろうか

チャプルテペック公園の横、民俗学博物館前を横切る

この広い通りで車を気にせずジョギングできる幸せ!!

ハイアットリージェーンシー(旧日航ホテル)前。今日はここで折り返し

最後は文化的地区と呼ばれるCondesaを抜けて自宅へ戻る
ここも自転車レーンがあり、少なくとも車は入ってこないので楽

これでだいたい12−3キロぐらい

普段同じコースだと6−7キロぐらいで疲れてしまうのですが、週末だけでも景色を
帰るとこれぐらい走ってもまだ走れそうな気がしてくるから不思議です

メキシコシティで駐車違反を取られる

ラブルというものは何気ない日常の中で不意に訪れる。

ある平日の午前、シティでよく通っているお客さんの事務所近く
に駐車しようと場所を探した所、普段は空いていないスペースが
今日は空いており、しかもここに止めてくれとばかりに白い四角い
枠まで書いてあるではないか

というわけで極力丁寧に駐車し、お客様を訪問する
外は快晴、過ごしやすい1日になるなと機嫌よく車に乗り込もうとすると

やられた




よう考えたら四角い枠が書いてあるということは近くの駐車チケット販売機で
チケット買って見える位置に提示しないと最悪レッカーされるのが当たり前だが、
あまりに頑丈な車止めで笑ってしまった。
とにかく面倒なことになったなーということで
ワイパーに挟まっていた書類を見る

おっす、俺、サンチェス。切符買ってないから罰金だよ。勝手に車動かすなよ
俺、サンチェス。切符買ってないから罰金だよ。勝手に車動かすなよ
銀行は定時だけだけどコンビニは24時間払えます。開いててよかった銀行は定時だけだけどコンビニは24時間払えます。開いててよかった

まずは近くで空いていた銀行窓口でお姉ちゃんに支払いを頼む。
お姉ちゃん含み笑いしながら楽しそうに私のカードから罰金を支払い
大きなスタンプを2つ思いっきり押してくれた

そのあと書類に書いてある所に電話せいと。電話したら私の嫌いな
録音・選択電話(⚪︎⚪︎に用のある人はX番を押して、、という例のやつ)
よくわかんないから適当1番だけ教えていたらお姉さんが電話にでる
(お姉さんかどうかは電話なので確証なし。おばさんかもしれない)

「ナンバーは?」「$%^^++#¥¥」「えーとマツダの車ね」
「そうそう」「15分で係員が行くから待っててね」

15分ねぇ。まあメキシコに住んで6年、時間指定してもその通りに来たためし
なぞなし、まあ1時間以内に来たら正解かな、記念に15分後ちょうどにあたりの
写真でも取るかと思っていたら

サンチェス 参上
サンチェス 参上

電話かけて15分ぴったり(ちゃんと携帯の履歴で確認した)に到着し
ハンコの押された書類を確認したら、車止めの鍵開けてくれたよえらいよサンチェス。

そのあと笑って握手して別れたあとのサンチェスは、道の反対側に向かい駐車してある
他の車を覗き込み、車止めを着けれる次のカモを探していたとさ

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